下宇津学 祠と古道の修復

平成17年06月26日古道の修復作業が始まった。

前日及び当日に、全日本ラリーが行なわれ通行止めの箇所があり、参加者に注意と迂回路の指示を行なった。
頂上付近で前夜、キャンプを6名で行なった。
満天の星空、時折「ピー」と鹿が鳴く。市街地のクーラーの中に居るような気温だった。
京都の市街地を抜け、周山街道(162号線)を北上。有名な北山杉が凛と空に突き出ている。
清滝川の清流に沿ってさらに北上を続け、笠トンネルを過ぎると京北に入る。
空気も温度も違いが分かる。細野を左折し細野川沿いを走り、弓槻橋に出る。
ここからは桂川沿いに、栃本・中地・宇津と通り抜けると突き当たりが京都市の最北西部「下宇津」である。

この峠の祠は1063年平安時代、前九年の戦いで破れた「阿部貞任」が奉られていると云う。

歴史的にも有名な東北の武将である「貞任」の祠も、今はおとづれる人もなく放置されている。
伝承される、言伝えも多く残っている。
地元の方達と協働で、古道の整備・祠の修復をおこない、先人から受け継いだ歴史遺産を下宇津地区の住民と共に、記録し伝承する。
また、森林浴をかねた安全なトレッキングコースとして整備。
都市住民と下宇津地域の交流を促進する。
9:00am下宇津地区「下浮井(しもうけ)」に集合。
地元の方5名、NPO関係11名が参加。古道登り口に移動。徳丸氏と庄野氏の挨拶と各自紹介の後頂上・中間・登り口の3班に分け、地元の方指導のもと作業にかかった。

草刈、ガラ場の修復・道標杭打ち・歩道の階段を修復作業した。
今年は空梅雨のため、気温は30度を越えている(市街地では34℃)中での作業となった。
日頃使わない「ツルハシ・スコップ・かけや」を使い・・・・・!!
地元と「ソト者」が汗を光らせながらの作業を行い、約1kmの古道の修復を完了した。

頂上付近からの眺望はすばらしく、下宇津全体が見渡せる。
眼下には桂川が東から西へ蛇行しながら、ゆったりと流れ山間の杉木立に消えて行く。
川と山に囲まれた集落は真中に道路が走り、その間に集落が点在している。
地元談

昔は(昭和初期)世木の集落から下宇津の集落へはこの道しかなかった。学校へ行くにも、買物へいくにもこの道やった。

わしなんか、殿田(日吉町)へ自転車買いに行った。うれして、二人乗りでこの坂下りた。

一番若い「本井氏」も私も小学生の時、運搬用の自転車をエッコラエッコラ担いで登ったんですヨ。

居合わせた「ソト者」は絶句!ここをですか?危ないですネ!?
学校へ通うのもこの道やった。雪が降ったら大変やった。転ぶは、落ちるは。
そうや、学校の遠足もここやった。

今あんたらが見てる杉の木は、みんなこの道を村の人が下から苗を上げたんやで。50〜70年ぐらいになるかな〜。
生活用品も、嫁もらうのもこの道を歩いて来たんや。今は便利になって、こんな道通る人おらんわ。山も仙(そま・山師)も育たんわな。しんどい思いして、売れへんのやから(材木が)。
倒れても、折れてもほったらかしや。もったいないけど、しょうがないわ。やろ思ても年寄りばっかりでできひん。
最古老の「安井さん」はすくっと立って、鎌を背に、草仮機を持って下山された。
いやいや、この村落は元気な(我々よりも)爺ちゃんと婆ちゃんが・・・・。
参加者談

いや〜大変ですネ!こんなに大変とは思っていなかった。
歩くのが精一杯の所を自転車や荷物を担いで行き来していたなんて・・・・。この祠に御参りしていた人の気持ちが分かるような気がします。
なれない作業なので・・・・・こんなしんどい事初めてです。
50〜100年かけて育てた「木」が林業不振で二束三文とは・・・。
台風被害、雪害、鳥獣被害が多いと聞いた。今日も「鹿」が走っていた。

私は、「鹿の角」拾いました。
峠の祠付近は、下宇津から貞任峠へ吹き上げる風が爽やかだった。
日吉ダムのお陰?で橋や車道が整備され、往来は楽になったが、失ったものも大きい。
下宇津峡と言われ、急峻だった渓谷は、今、穏やかな川になってしまった。
昔は、辺ヅリの道やった。そんで、この峠を越えてたんや。
その時分は、雨が降ると家が浸水してた。水害には泣かされたんや。
地元の方は言葉少ない。年輪を刻み日焼けした顔から「にっこり」と微笑む顔が印象的だった。
9月下旬には、市街地住民(子供)と地元、海外の子供を含め、交流を深めていく予定。